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人生の大切なことは全て暁星国際の寮で学びました。第10回

川北総合病院 泌尿器科医師
若松 太郎(暁星国際学園13期生)

私は暁星国際高校第13期生の若松太郎と申します。今回このような機会をいただきありがとうございました。
私が暁星国際高校に入学したのは、1991年の4月でした。その年は1月に湾岸戦争があり8月にはクーデターによりソ連が消滅しました。世界情勢は現在同様混沌としていましたが、まだバブル経済の名残があったせいかどこか日本中が浮ついていて、それらの出来事も皆他人事のように感じていたことを覚えています。
当時暁星国際高校は男子校で、生徒の9割以上が寮生活を送っていました。入学した15歳当時、親と離れて生活をするということは寂しさと解放感が入り混じった不思議な感覚でした。寮生活では時間で区切られた規則正しい生活を全くの他人と送るという今までにない経験をさせていただきました。その中で数多くの友人と知り合い、仲良くなり一緒に遊び、時に喧嘩をしながら成長をしてきました。人格形成に大きな影響を及ぼす10代の後半を、同年代の人たちと過ごすことは自分自身にとって大きな財産となりました。今まで家族だから許されていた行為がいかに非常識であったか、自分がいかに世間知らずで甘い考えの持ち主であったかを思い知る場面も多々ありました。
もう廃部となってしまいましたが、在学時はアメリカンフットボール部に所属していました。入学してすぐの夜、1年生の部屋に大きな体をした先輩方が勧誘に訪れた時のことは今でも覚えています。中学まで真剣にスポーツに取り組んだ経験のなかった私にとって、アメフト部の先輩方の大きな体と迫力、そして優しさはまぶしく映りました。その当時仲良くなった同級生に誘われて練習を見学に行き、その日の内に入部を決めました。部活の練習は体力のない自分にとって非常に厳しく、休日もほとんど無い生活を送りました。正直何回も退部を考えましたが、気付けば大学まで続けていました。現在も筋トレとマラソンを趣味にしており、年1回フルマラソンに出場しています。まさか自分が中年と言われる年になってもスポーツを生活習慣として続けているとは昔の自分を知っている人たちも驚いています。
在学中勉強は恥ずかしい話ですがほとんど記憶がありません。寮生活で1日3時間の勉強時間を課せられていましたが、集中力無く過ごしていたからでしょう。おそらく当時の先生方も私には頭を悩ませたと思います。その件に関しては両親にも申し訳なく思います。案の定進学の際には最後の追い込みでかなり苦労しましたが、それまでに培われた諦めない精神と継続力に救われ苦労の末医師になり、現在は東京都杉並区阿佐ヶ谷にある河北総合病院で泌尿器科として勤務しています。寮生活がなければ途中で挫折していたかもしれません。私を知っている方は「あいつが医者かよ」、と思う方も多いと思います。若い時に勉強にあまり向き合えなかったことは後悔する場面も多くありますが、それ以上の財産を寮生活で培うことができました。
寮生活で得たことは多くありますが、やはり一番は月並みですが多くの友人に恵まれたことです。在学中から私は寮生活や部活で多くの人に助けられてきました。人は一人では生きられない、多くの人に支えられて生きているということを様々な状況で強く学びました。その為今まで自分が他の人にしていただいてきた事を、生きている間に少しでも返せればと常日頃考えております。現在の医師としての私のアイデンティティーになっております。
在学中に形成された人間関係は、特に40歳を過ぎた現在大切な宝物です。今年の3月まで山形県米沢市に勤務をしていたのですが、高校時代の友人が2名訪ねてくれて、3人で温泉旅行に行きました。高校時代の友人と旅行に行くのは卒業以来でしたが、本当に笑いの絶えない楽しい時間を過ごしました。また当時のアメリカンフットボール部の同期、後輩とも年に1回必ず会うようにしています。練習が長く辛かったこともあり、皆当時の練習や試合の思い出を事細かに覚えていて、それを肴においしい酒を飲んでいます。
暁星国際高校の3年間は私の人生で最も濃厚で美しい日々だったと考えております。人間関係の大切さや規則正しい生活、適度な運動習慣など、高校で教えていただいた事は年齢を重ねるごとに人生においていかに大切な事かを痛感しております。最後になりますが、当時お世話になりました先生、舎監の皆さま、同級生、先輩、後輩その他学校を支える多くの方々に心から感謝申し上げます。暁星国際高校の今後の発展をお祈り申し上げます。

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