暁星国際での6年間 未来の後輩の皆さんへ
医療法人社団 星野会理事 星野歯科医院院長
東京医科歯科大学高齢者歯科講座非常勤講師
星野 崇(暁星国際学園 9期生)
「暁星国際学園は紳士淑女を育てる」
地元の小学校の卒業式にて、当時栃木の田舎から暁星国際に進学するために小学校の友達に別れを告げて、実家から自分一人の為の引越し準備をしていざ木更津へ、、、
暁星国際学園の入学式では、君が代の後にフランス国歌「ラ マルセイエーズ」が流れ、私はそこで初めてフランス語を口にしました。
世界各国からの帰国生が木更津のキャンパスで一緒に勉強し生活する訳ですから、日常の会話は勿論、体育の授業などでも白熱すると、英語VSフランス語は勿論、様々な言語が入り乱れ、栃木県出身の私は、驚きとカルチャーショックの連続でした。
寮の部屋は、当時16人部屋の中学1年生〜3年生の縦割り社会。当然、室長をはじめ諸先輩方の存在はあまりに大きく、礼儀・敬語と言う日本語は、暁星国際にて初めて覚えたような気がします。
寮という環境で全員が生活する訳ですから「規律が無ければ成り立たない」、と言うことを理解するには時間がかかりませんでした。
寮生活では、自分を露わに曝け出して皆と付き合うのですから、ある意味過酷な世界ではありましたが、私を含めすぐにみんな上手く溶け込む事が出来、どんどんと仲間も出来るようになります。
中学に入り、先ず憧れたのは文化祭でのステージに上がる事でした。当時文化祭の前夜祭では、沢山の華やかな先輩方のバンドが肩を並べ、プロ顔負けのステージでカッコイイの一言。
「いつか、自分も文化祭のステージに上がって皆に自分達のバンドで華を飾ろう」と、思うようになりました。
仲間と組んだバンドでは、音楽を通じ音があっても合わなくても一緒に音を出す事が楽しく、無事にコンテストも通過し初のステージに上がることになりました。高校二年生でのラストステージでは前夜祭のトリを務める事も出来ました。
勿論中高の6年間では、バンド活動が全てだった訳ではありません。
暁星国際での生活は、勉強は勿論のこと、生活の全てのシーンに常に沢山の仲間が居ました。
学園・寮生活で育んだ事で今でも役に立っている事と言えば、人前で自分を恥じずに表現する力を身に付けた事です。
在学中のとある日曜日に、友人と外出で木更津の街に出かけた際に、駅の階段で足が悪く階段の登り下りが出来なかった御老人を皆で声を掛けて車椅子を皆で持って昇降を手伝った事を覚えています。
それは、手伝った事が大切だと言うよりも、困っている人に友人も含め自分達が何の躊躇いも無く声を掛けることができる人間になっていたということです。入学時から暁星国際を訪れてくれた全ての人に大きな声で挨拶をする習慣がそうさせてくれたと確信しています。
挨拶とは一見単純な所作ではあるかもしれませんが、大人社会であっても実は出来て居ない人が多い昨今です。
卒業後の私は、歯学部に進学した後、国立大学病院医局に勤務し、国内は勿論海外での学会でも何度か論文発表させていただいた事があります。そこでも暁星国際時代の挨拶について、万国共通で仕事も含め生きて行く上で非常に役に立ったと話した事が何度かあります。
現在卒業して30年を迎えようとしていますが、今でも暁星国際の仲間とは昨日まで寮の部屋で夜通し語り合った延長線上にお互いが居る、そんな関係が続いています。
在学中は先生方をはじめ、寮の舎監の先生方にも迷惑を沢山かけてしまい決して品行方正な学園生活を送った自分ではありませんが、学生時代もそして今も胸を張って言える事・・・・
「暁星国際での6年間は今の自分の大切な大切な宝物です。」
今でも暁星国際を訪問させて頂くことがありますが、その度に変わらない木更津の矢那の自然、そこにしっかりと佇んで我々をいつも迎えてくれる我が母校。
「暁星国際は今も、紳士淑女を育てる。」
また近いうちに母校に脚を伸ばしてみたくなりました。